「構造的無知」

これもいい意見なのでメモ。引用文のキーワードをそのままタイトルにするのも気が引けるが。

昨日まであんなに民主党政権を叩いていたマスコミが一転して「小沢外し」と喝采すると、国民も手のひらを返したように高い支持率で答えてくれる。このわかりやすさは、何かおかしいのではないか。衆愚政治という言葉はきついけれど、有権者の評価を金科玉条としてよいものかどうか。

だから私は、「マスコミが悪いから」ではなく、マスコミがこういう状態なのは有権者の無意識を反映しているのではないかと言っています。

http://blogs.yahoo.co.jp/mazepparrigo/32372682.html

鳩山が掘り起こしたのは沖縄県民の思いだけではなく、日本国民が考えたくなかった、見ようとしなかった自らの弱みですよ。鳩山が総理をやっていると、見たくないものをいつまでも見せられる予感がして、辞任を求めた。

平野啓一郎の「日本の総理は国内問題でのみ思い切ったことをすべき」なんて言ったとすれば、文学者失格ですね。この構造的無知にとらわれているということですから。

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http://blog.tatsuru.com/2010/06/02_1032.php

<マスメディアを覆っているこの「構造的無知」は、日本人たちの「自分たちがほんとうはなにものであるかを知りたくない」という欲望の効果であると私は思っている。

前に未知のアメリカ人からメールで普天間問題についての見解を訊かれたことがあり、そのとき私はこんな返事を書いた。

「喫緊の仕事は東アジアにおける米軍のプレザンスが何を意味するかを問うことだと私は考えています。
しかし、日本の『専門家』たちはアメリカのこの地域における外交戦略についての首尾一貫した理解可能な説明をすることと決して試みません。彼らが問うのはどうすればアメリカの要求に応じることができるか、アメリカの軍事行動のために日本領土を最適化するためにはどうすればいいのか、それだけです。彼らにとってアメリカの要求は彼らがそこから出発して推論を始めるべき『所与』なのです。彼らは決して『なぜ?』と問いません。

私はこの症候を『思考停止』と呼んでいます。
日本人の過半数は、『アメリカ人はどうしてこんなふうにふるまうのか?』という問いを立てるたびにこの病的状態に陥ります。

この弱さは歴史的に形成されたもので、私たちのマインドの中に深く根を下ろしています。あの圧倒的な敗戦が、ことアメリカに関する限り、条理を立てて推論する能力を私たちから奪ってしまったのです。
おそらくあなたはそのような弱さを持ち続けることは不自然だとお考えになるでしょう。それは私たちに何の利益ももたらさないから。
けれども、私がこれまで繰り返しさまざまなテクストに書いてきたように、私たちはこの弱さから実は大きな利益を引き出しているのです。

私たちは自分に向かってこう言い聞かせています。私たちとアメリカのあいだには何のフリクションもない、すべてのトラブルは国内的な矛盾に由来するのだ、と。護憲派改憲派のあいだの対立、平和主義者と軍国主義者の対立、豊かなものと貧しいものの対立、老人と若者の対立・・・などなどこのリストはお望みならいくらでも長くすることができます。

真の問題は日本国内における対立に由来する。そして、国内的対立が問題である限り、私たちはそれをハンドルすることができる。
『私たちはそれをハンドルすることができる。』
これが私たちがそれを国際社会に向かって、とりわけアメリカ人に向かって焦がれるほどに告げたい言葉なのです。

ご存知のように、普天間基地問題について、日本のメディアはアメリカの東アジア軍略についても、日本領土に基地があることの必然性についても、ほとんど言及していません。彼らは鳩山首相の『弱さ』だけにフォーカスしています。彼らは首相を別の人間に置き換えさえすれば、私たちはまたこの問題をハンドルできるようになる、そう言いたいのです。普天間問題はなによりも国内問題である、と。

日本人がアメリカ人と向きあうときに感じる『弱さ』はこの『想像的な』主権によって代償されています。私たちはアメリカとのあいだにどのような外交的不一致も持たない。すべての混乱は日本国内的な対立関係が引き起こしているのだ。そのようにして、私たちは私たちに敗戦の苦い味を私たちに思い出させるアメリカ人をそのつど私たちの脳から厄介払いしているのです。

私はこのような急ぎ足の説明では日本人がアメリカ人と向きあうときの奇妙なマインドセットを説明するのに十分であるとは思いません。しかし、私はあなたがこの説明で日本人を理解するとりあえずの手がかりをつかんでくれることを希望します。」>