大阪府の人件費

山口二郎とかを批判するのは容易ですけれど、ではどうしたらよいのか。

後記でいろいろ言い訳をしているのは、こういう批判もあまり建設的でないと感じているからでしょう。

ある意味、橋下にいきなり総理をやらせるのがよいかもしれない。

というのも、府知事として彼は、大した人件費カットをしたわけではない。例えば、給与2割カットなんてやっていないと推測される。

ここを見てください。

http://www.pref.osaka.jp/kikakukosei/jinjigyosei/

http://www.pref.osaka.jp/attach/5727/00000000/gaiyou_23.pdf

国民のイメージとして、自治体の公務員というのは、「一般行政職」のことです。これは平成18年から23年にかけて18%減っている。内容の大半は、退職と新規採用抑制による自然減と、公務員の身分をはく奪し、外郭団体に看板を掛けかえる、というものではないでしょうか。

しかし、この数字、橋下だからできたというものではおそらくなく、その他の自治体や政府機関でも、この程度のリストラが進行したところは多かったと思われます。

一方、給与はどうでしょうか。国民が溜飲を下げるのは、人員削減ではなく、給与の削減でしょう。リストラをすれば住民サービスが悪くなります。たとえば2割安い給与で同じ人数働いてくれれば、その方が国民としてはうれしい。

これについては、平成20年8月から、管理職以外で最大10%前後のカットが行われているようです。平成23年度からは緩和されて最大9%カットになった。最大でこの率ですから、一般行政職員のカット率平均は高々数%でしょう。

しかし、これも財政危機を反映した期間限定の措置であり、財政再建が成れば元に戻るという性格のものではあります。

給与抑制も、橋下が始めたものではない。

http://www.pref.osaka.jp/attach/5727/00000000/jinjigyousei_23.pdf

財政再建団体への転落を回避するため、人件費の抑制に取り組んでおり、平成10年度は都道府県の中で全国一高い給与水準でしたが、全職員の普通昇給及び定数内特別昇給を停止するなどの取組により、平成13年度には全国で最低の給与水準となり、平成14年度以降もさらなる給与の抑制に取り組んできました。>

要は、給与抑制は橋下のずっと前から始まっていたということです。

とはいえ、平成20年8月からのカットは橋下が始めたもので、お手柄と言えるのではないでしょうか。

「経常収支比率」というのもあります。

http://www.pref.osaka.jp/zaisei/joukyou/10etc.html

<「経常収支比率」とは、府税や地方交付税など毎年経常的に収入される使途の制限のない一般財源が、人件費や扶助費、公債費など毎年固定的に支出される経常的歳出にどの程度充当されているかを示す比率です。>

これを見ると、確かに橋下府政のH20年以来、経常収支比率は低下しているが、それ以前、10年ぐらい前から、すでに低下は始まっている。橋下になって初めて削減努力が始まったわけではないのです。

おそらくこの背景には、自治省総務省による「地方公務員の給与適正化」の指導がある。これは大阪府の市町村のデータで、府そのもののデータではないのですが、かつて、地方公務員の給与は国家公務員よりだいぶ高かったようです。

http://www.pref.osaka.jp/shichoson/kyuyo_teiin/rasu.html

1975年には、大阪府内市の職員給与は国家公務員より30%も高かった。これが25年以上かけて平成15年(2003年)にはほぼ均等になるまで低下している。

要は、国民が溜飲を下げるような給与カットは、むしろ橋下以前に起こっていたのに、誰も知らない。

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<ただし、その現象を「ポピュリズム」と呼ぶべきかどうかについては、やはり依然として躊躇がある。政治学者がどう定義しようと、「ポピュリズム」には「愚民政治」「大衆迎合主義」という語感を払拭することができない。たとえば「反橋下」の急先鋒の政治学者である山口二郎氏が、「地域で人とつながる運動や仕事をしている人の中で、橋下をほめる人はいない。・・・寄る辺ない、孤立した民衆が橋下に自暴自棄的な希望を託している。コミュニティにつながっている人には橋下の危険性が分かる」と、「橋下人気」の背景を分析しているのが典型的であるが*5、「ポピュリズム」という言葉を好んで用いる人は、支持者が正常な政治判断ができないほど「不幸」「異常」な状態に陥っている、と考えたがる傾向がある。

 元から橋下を不愉快に思っている人は、橋下支持者がまともな精神状態じゃないという、こうした解釈に深く共感する(あるいは安心する)のかもしれないが、個人的には全く納得できるものではない。例えば、山口氏の解釈に従うと大阪府民の過半が「自暴自棄」状態にあるということになるが、これはとても真面目に受け入れられるものではない。むしろもっと素直に、普通の真面目な有権者の「健全」な問題意識のなかで、橋下が魅力的で説得力のあるものとして支持されていると理解されるべきである。たとえば、官僚・公務員の「既得権」や「無駄遣い」こそが今の日本の根本問題であると大阪府民(ひいては日本の世論全体に)に理解されているとすれば、その問題をもっとも歯切れよく批判・攻撃する橋下が支持されるのは当然なのである。もし「ポピュリズム」を批判するというなら、民主主義を多元化していくこと、つまり経済・生活上の関心に基づく多様な利害関心を組織化し代表していくという方向で民主主義を再構成することが必要になるが、今の日本では官僚・公務員の「既得権」「無駄遣い」が、すべての争点に優先すべき政治課題であるかのように扱われていることで、これが完全に妨げられている。

 その意味で失望したのが、山口氏ら「反橋下」派の知識人たちが、生活関心の組織化という地道で泥臭い課題に取り組むのとは全く逆に、愚にもつかない頭でっかちの「独裁」「ハシズム」批判に堕して、真面目な有権者をかえって遠ざけてしまったことである。橋下を「ポピュリズム」と批判する側こそが、それに輪をかけたポピュリズムに陥っていたとしか言いようがない。>