多数決絶対主義

いい意見なのでメモ。

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http://blogos.com/article/40086/?axis=g:0

<民主主義とは、多数決を原則としながら、少数意見にも最大限配慮するものと、我々は中学校の公民の教科書で習ったはずだ。

ところが、昨今の政治はその通りにはなっていない。最近の政治は明らかに少数意見への配慮をネガティブなものと捉え、多数決のみを是としている。いったい、いつからそうなってしまったのか?

(中略)

少数意見を無視して抹殺して欲しいという気持ちは、自分が多数派に属した時に顕在化する。小泉政治にも靡かず引き続き自民党に批判的立場を取ったリベラル層も、自民党政治(特に小泉政治への)アンチテーゼを多く含んだ民主党政権が誕生した時に望んだことは、マニフェストの貫徹であった。

参院選自民党が勝利し、民主党マニフェストが野党との妥協なしに成立が困難になった後も、彼らが求めたのはマニフェストの貫徹であった。民主主義の教科書では、与党は野党に可能であれば譲歩すると書いてあるのに、彼らは譲歩を嫌った(先述した通り、自民党が求める譲歩は、民主主義の教科書から逸脱しているのではあるが…)のである。

リベラル派=少数意見を大事にするというのは妄想で、彼らも自分たちの意見が多数派になりそうな時は、反対派の少数意見の抹殺を望むのである。それは脱原発の民意が優勢な現状下では、脱原発派は原発推進派を政治の場から排除して、完全なる脱原発を望んでいることからも明らかである。

そもそもマニフェスト政治自体、「選挙で国民に約束した」という錦の御旗の下、野党に一切配慮しないことを正当化できる危険な要素がある。民主党は余りにもマニフェストが実現できていないので問題が顕在化していないが、もし参院選も勝って、勢いでマニフェストに書かれている政策を次々と強行採決していたら、それはそれで危険であった。

少数派への妥協を嫌う民意を穿ってみる

このように、妥協を拝し、少数意見を軽視する政治の潮流は、その他の政治の潮流と無関係にむしろ深化し、現在では左右政治的立場関係なく、ほとんどの人の心の中に「自分の意見が通る政治に期待し、同時に自分と反対意見は無視して抹殺することを期待する気持ち。」を宿らせてしまっている。

独裁的な政治家を批判して正義感を満たしている人も、今一度自分の中にある独裁的な気持ちに向き合って、それが正しいのか省みるべきではなかろうか。