橋下市長、文楽を語る

ふむ。歌舞伎は行くんですね、この人。もう少し見てハマってくれれば、きっと、文楽も見たくなるはずです。

歌舞伎行くといっても、まだせいぜいミーハーの段階でしょう。海老蔵とか平成中村座、浅草歌舞伎あたりは、けっこう芸能人も見かける。集客もそこそこ良い。それぐらいの人気を得る努力をしたら補助してやる、というわけでしょうね。

しかし、頑なに伝統芸能の様式を守ろうとすると、集客力はなくなる。人間国宝レベルになると、だいたいガラガラ。だから補助が欲しい、ということになるのでしょう。

歌舞伎は、稼いでいるのは若手から中堅クラス。ミーハー客を集める興行から、人間国宝クラスの興行への所得移転が行われている面があると言われる中、一番所得があるのは海老蔵と言われている。以前、勘三郎もかなり脱税して、追徴課税されていた。こういう人たちなら補助してもいいのだろうか。

こういう稼げる裾野があって、頂点には金にならない古典があるというのが、歌舞伎の場合。これに対して文楽は、性質上、ミーハー興行をやるのが難しい。

しかし、どうやら「若手の活躍で活性化」みたいなイメージを作らないと、橋下市長から補助をもらうのは難しそうだ。

文楽で人気の中心となるのは大夫。文楽の若手の話となるとすぐ「咲甫にもっと大役をやらせろ」みたいな話になるのだが、それで集客力が出るとも思えない。氷川きよしみたいなかわいい若手がいないわけではないけれど、まだ声ができていない。

それより、より致命的な問題として、今の「切場語り」昇格直前の世代にろくな人がいないのである。私がここ2年ぐらい、まったく文楽に行っていないのは、これが理由の一つである。いつまでも住大夫ばかり前に出し、若手に機会を与えない、というのも悪弊の一つだが、実力ある後継が脅かしているわけでもない。確かに、改革が必要ではある。

人形遣いにしても同じ問題がある。玉女さんをとっとと「玉男」に昇格させてやれよ。一時、玉女さんがずっと大役を勤めていたことがあるが、あれは、ずっと師匠の玉男が病気入院している間、毎月、代役をやらせていたからである。師匠が亡くなったら、玉女さんは元のように小さい役に戻ってしまった。

文楽がガラガラなのは大阪の話であって、東京(国立劇場小ホール)公演はしっかり入っていて、なかなかいい席が取れない。

それでも文楽が大阪に根拠地を置いているのは理由がある。「国立文楽劇場」を作るという話になった時、東京に、という案もあったのだが、「義太夫は正しい大阪弁が話せないと無理。東京では伝統が継承できない」という意見があって、大阪に立地したのである。

経済的理由で、上方の歌舞伎役者は、ほとんど全員、もうずいぶん前に関西を放棄して東京に移住してしまった。だから義太夫狂言をやる場合でも正しい大阪弁を話しているかどうか、怪しいのである。

ところで、オーケストラが、地元の公演でアンコールをやらないのは、グローバル・スタンダードなんだけどね。

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http://blogos.com/article/41991/?axis=g:0

<25日の産経では、アンコールについて、超過勤務になるからと断った大フィルの様子が報じられた。文楽は、師匠が弟子に芸を教えるのにお金が出る。そして弟子も稽古のために時間的に拘束されると言う理由で金が出る。こんな状況は、補助金行政の悪弊以外の何物でもない。

文楽も大フィルも、本質は観客を集めてなんぼの仕事だと言うことを完全に忘れ去っている。自分たちの高尚な芸術のためなら、観客が集まろうと集まらなくても、観客収入がどれだけであろうと、自分たちの収入は一定額保障されるものと言うことに何のためらいもない。

これが公演の原理原則から如何に離れていようとも。公演は観客から頂くお金で成り立つ。それ以上のお金はない。大フィルも、それが原則になっていたら、観客が喜ぶためなら何でもするであろう。一公演を成立させることに必死になるわけで、アンコールに超過勤務をくれなんて言えるわけがない。

公演が成立したらそれだけで感謝。公演が成立するために、練習を繰り返す。練習した分だけ金をくれなんて言えるわけがない。次に観客がまたリピートしてもらうためにアンコールがかかれば超過勤務をくれじゃなくて、皆喜んでアンコールに応えるだろう。これが公演だ。

文楽については、近々大阪市のHPに何が問題なのかをアップします。僕の考えや特別参与とのやり取り、文楽協会や、特に国の振興会の無責任な態度が表れている回答書など。文楽の人や、エセ文化人は、文楽の予算を切るな!の連呼だが、文楽について誰も真剣に考えていない。

僕が市長と言う立場で、一団体への補助金についてここまで直接に関与して議論しているのは文楽と大フィル、そして子どもの家事業だろう。何も考えていないように取られているので、メールの類も含めて全てオープンにします。そこにも書いているが、なぜ僕が文楽は2度と観に行かないと言ったのか。

僕は、「今のままでは」2度と観に行かないと言ったのです。文楽については、行政マンやエセ文化人は誰も本音を言わない。文楽が大切だ言う人に、では昨年何回行きました?と問えば、一度も行っていない。最近、新聞等で文楽特集が多いから市政記者クラブの記者に文楽に行ったか尋ねた。

そしたら記者クラブの記者で最近文楽を観に行ったと言う人は皆無。じゃあ、会社から文楽を観に行けという指示が出たかと尋ねたら、それも全くなし。メディアは文楽が伝統文化で大切だと言うなら、自分のところの社員を月に一度は文楽に行かせたらいい。それが一番の支えだ。しかし、それはしない。

文楽に行きたい!、行っています!という状態ではないのに、文楽は大切だとしか言わない。なぜ皆が文楽に行かないのか、行く気にならないのか、そこを率直に言うのが、文楽にとって本当にためになる。それが本当の支えだ。だから僕は、「今のままなら」2度と来ないと言った。

まず文楽を見たこともない、初めて文楽を見る人を、新しいファン、顧客として獲得しようと言う気概がない。文楽の良さは、知る人だけが分かる、それで良いという意識だろう。もっと言えば、文楽の良さを知らない人は低俗だと言わんばかりの意識だろう。

初めて文楽を観た若い世代が、すぐに文楽に魅了されると言うのは少ないだろう。だから新しいファンを獲得するためにはどうすればいいのか、ここに命をかけなければ観客は集まらない。大阪での文楽劇場の平均の入りは、3割しかない。普通の公演ならすぐさま廃業だ。

伝統を守る、変えないことが文楽だと、文楽界の人たちは自分勝手に言うが、それで観客が集まらなくても気にしない。税金で収入が保障されるから。守るものは守れば良い。しかし新しいファンを獲得するためには、時代に合わせた観せ方も必要ではないか?

歌舞伎もスーパー歌舞伎などで話題性をふりまき新しいファンを獲得しながら、古典はしっかりと守り続ける。また露出についても大フィルの超過勤務や稽古の日当のような考えではなく、それこそ無給で必死になるべきだ。今の大フィルや文楽界は、何かすればカネをくれという体質なのであろう。

普通は露出できるなら、もちろん無給で、いやこちらからお金を払いますという姿勢だ。ところが税金で保障される世界は、真逆の考えになってしまう。僕は文楽の芸術性は素晴らしいと思う。30代後半になって歌舞伎も観に行くようになったので日本の伝統文化は素晴らしいと思う。

しかし観客が集まるかどうかは全ては演者側の責任だろう。観に行きたくないと言った観客を叱れるのは、連日満員御礼の公演の演者。3割しか入っていない文楽公演の演者が観客を叱ってどうする。何故観客が集まらないのか真摯に反省し、努力し、創意工夫を重ねるべきだ。

文楽界の特権意識の表れの事例のもう一つ紹介する。僕は市長として予算編成の責任を負う。予算編成にあたっては連日様々な部局と協議するが、僕が難色を示した事業については、部局は必至になって説明に来る。ここで徹底討論する。これが予算ヒアリングだ。

市政改革で予算を削る話も多い。そうなると削られる団体は、僕に対して直接話しがしたいとの要望が来る。本当は全てに応じなければならないのだろうが、今の市長業務や大阪市役所の巨大性からして、僕が応じることができない。しかし団体側は少しでも時間をくれと言ってくる。

僕は文楽については大きな問題なので、部局や特別参与と直接の討論をかなりの時間をかけてやってきた。そして文楽の構造上の問題点が分かってきたので、僕が直接文楽界からヒアリングをするし、意見交換をしたいと申し出た。そしたら文楽界は拒否。予算ヒアリングを拒否されたのは初めてだ。

要するに文楽界は、文楽に税金を入れるのは当然。市長からの予算ヒアリング、意見交換なんて必要ない。そんなことをやらずとも税金を入れるのが当然。完全に感覚が狂っていると思う。文楽であろうとなんであろうと、税を入れると言うのは大変な話しだ。普通の公演には税は入らない。

しかもその額は大阪府大阪市合わせて1億近く。これだけの税金が入るのに、予算ヒアリングも、意見交換もやりたくないって。一体どれだけの特権階級なのか。他の団体は、数百万円の予算獲得のために、とことん議論する。しかし文楽界は、一億円近くの税金の投入は、当たり前の感覚なのだ。

このような文楽界の特権意識が、新規ファンの開拓、観客重視の精神の欠如に繋がり、観客は集まらないと言う悪循環を生んでいるのであろう。文楽が大切だとエセ文化人が声を上げても、大衆は文楽に足を運ばない。なぜ僕が「今のままでは」2度と行かないと言ったのか。

それを批判する前に、僕のように芸術素人をどう文楽ファンに巻き込むのかを考えるべきだ。文楽と言えば誰もが無条件に讃辞を送り、誰もが文楽ファンにならなければならないという甘えを捨てるべきだ。興味のなかった人をどうファンにさせるか。それが公演の原理原則である。

26日の産経では、小劇団のへの助成を僕が全て切ったとの報道があった。これまで助成金を受けていた団体の皆さんへはご迷惑をおかけしますが、この助成金についても文化行政トータルでのしっかりとした評価システムがありませんでした。もちろん審査会はありましたが。

これからはアーツカウンシルに一本化します。伝統芸能も、クラシックも、劇団も皆芸術です。伝統芸能だから一億円近くの助成。劇団だから数十万円の助成と言うのはおかしい。小劇団の状況を文楽にも知ってもらいたいですね。これからはアーツカウンシルで文化トータルで助成して行きます。

アーツカウンシルで大阪の文化行政の考え方をしっかりとまとめてもらい、これまでの補助金が既得権化しないよう、しっかりとした評価システムを構築して、助成して行きます。小劇団の皆さんも、25年度の向けて宜しくお願いします。>