公選法による選挙運動規制のあり方

通りを歩いていたら、たまたま前職候補の事務所の前を通りかかった。出陣式っぽいこと(今頃?)をやっていて、選挙カーがちょうど出発するところだった。

動き出した自動車からは、例によって、ウグイス嬢(てか、おばさん)が、市民に語りかけるのだが、それを聞いていて腹が立ってきた。

街を歩いている母と小さな娘に向かって、「たのしくおべんきょうしてますか~」「おともだちと仲よく遊びましょうね~」といった具合である。

これがいったい選挙と何の関係があるのか。政党交付金をもらって、この程度のことしかできないというのが、公職選挙法による規制なのである。

少なくとも、ブログやツイッターで訴える方が、よほど国民の期待に沿った選挙運動だと思う。むしろうるさい街宣車こそ規制してもらいたいぐらいだ。

文書図画の配布が禁止されているのは、基本的には、資金力のある候補に有利だから、ということだろうと思う。しかし、今どき、ニートだって、ブログやツイッターは書けるではないか。

要は、基本的な発想が旧内務省なんですよ。国民の政治言論はできるだけ規制すべきというわけでしょう。

私は、テレビやラジオについては、引き続き、「公平報道」の規制を続けるべきだと思う。公示日以後、特定政党と党首の、事実上の宣伝的報道が激減したのはよかった。マスコミによる投票日直前の世論操作を許してはならない。

アメリカでは広く行われている戸別訪問も、解禁すべきである。ワイロの可能性があるというけれど、今の御時勢、はした金を黙って受け取るより、「この候補の運動員から現金の受け取りを強要された」と告発する市民の方がはるかに多いですよ。むしろ、そういう罠に陥るリスクを恐れて、政治家の方が戸別訪問解禁に反対するなら、それは仕方ないけれど。

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http://blogos.com/article/52055/?axis=g:0

<なぜか、こんなに面白い記事がヨミウリオンラインにアップされておらず、ネットでお読み頂けないのが残念ですが、何で笑ったかというと、1996年1月に、公選法を管轄する自治省(現・総務種)の担当官に、選挙でのインターネット利用についての見解を聞いた時の答えを思い出し、「17年間、な〜〜んも変わってないなあ」と思ったからです。見解はこうでした。

「選挙運動に使える文書図画は一定のものに限られる。海辺で候補者の砂文字を書くことも許されない。したがってパソコン画面上で当選を目的とする内容は脱法的な文書図画に当たると解釈せざるをえない。これは候補者個人、政党を問わない」

要するに、「法的には、選挙運動にはネットは一切、使えない」ということです。ところが、実際には、使われてきました。特に派手だったのが2004年夏の参院選。自民、民主両党とも、小泉首相岡田代表ら両党幹部の応援演説の模様を写真付きで派手に毎日更新していました。(中略)

読売の今朝の記事には、ある候補の演説会のあとで支持者が参加者に「ブログやツィッターで『〇〇に一票を』と書き添えてください」と呼び掛けたり、候補者の”勝手連”が街頭演説の日程などを書いたメールマガジンの配信をしていることなどのケースについて、「総務省は、いずれのケースでも『選挙運動の一環であれば、公選法に違反する可能性がある』という見解だ」とあります。

こういう17年近く前から一歩も出ない、カビが生えたような陳腐な「見解」しか出せない総務省や、政権党の本部の家宅捜索など出来っこなかった警察を責めるのは筋違いでしょう。

ネット選挙運動の解禁を目指した公選法改正案を民主党が提案したのは1998年でした。それからなんと14年も店晒しにしてきた「決められない」国会議員こそが責められるべきだと強く感じます。>