無党派層は中間投票者ではない

自民党の新総裁が谷垣に決まりました。議員票のみならず党員票でも過半数を制しており、とりあえず文句の余地のない勝利ではあります。

しかし、自民党にとっては、政権復帰への道はかえって困難になったかもしれません。

さんざん指摘しているように、現在の小選挙区比例代表並立の衆院選では、得票率で10%、有権者比率では7%程度の票がどちらにつくかで、自民、民主のどちらが勝つかが決まります。問題は、彼らがいわゆる「中間投票者」ではない、と考えられることです。

中間投票者とは、政治的意見がほぼ直線上で分布しているような状況で、中間に位置している人々です。例えば、選択肢が「大きい政府か、小さい政府か」であるとして、「大きくも小さくもない、そこそこの政府」を志向している人々が中間投票者になります。小選挙区では、このような中間投票者がどちらに着くかで勝敗が決まると、とりあえず言えます。

しかし我が国の政治状況では、総選挙のたびに投票先を変えて選挙結果を左右している人々が、中間的な政策志向を持った人々とは、到底思えないのです。

自民党民主党も、風がどちらに吹いてもそう簡単に投票先を変えない、コアの支持者をしっかり確保していると思われます。彼らはそれぞれどのような政策志向を持っているのでしょうか。

自民党のコアの支持者を「オールド・ライト」と呼びましょう。彼らは、伝統的地域共同体の価値観を重視し、経済的自由の拡大で共同体が侵食されないように、様々な手当てを自民党に求めます。具体的には公共事業などですね。

これに対し、民主党のコアの支持者(オールド・レフト)は公務員、大企業従業員、教員など、都市の新中間層であり、やはり最近の経済自由化によって経済的安定を脅かされ、政府の保護を求めている人々です。

このように自民、民主とも、選挙によって投票先を変えないコアの支持者というのは、これまで何らかの既得権を享受してきたが、最近の経済自由化で安定を脅かされていると言えます。

これに対して、選挙ごとに投票先を変える人たちは、どちらのグループにも属していません。なぜなら、彼らは、少なくとも主観的には、どちらのグループの既得権の恩恵も受けていないと自己認識しているからです。彼らは所得水準でみると、非常に大きな格差の中にあります。一方に、経済自由化で恩恵を受ける新興起業家、イメージで言えば、ホリエモンとか村上ファンドとか、人材派遣業の経営者たちが含まれますが、いわゆる「ヒルズ族」と呼ばれるようなとても裕福な人たちです。

これに対して、経済自由化によって新しく生み出された貧困層もまた、このグループになぜか入ってしまいます。というのも、規制緩和によって可能となった様々な形態の非正規雇用で働く人々は、オールド・ライト/レフトが享受してきた既得権の分け前にあずかることができません。勢い、これら旧勢力の既得権益の削減を訴える政治勢力を支持するようになります。論壇で言えば、赤木智弘などがそうです。彼が、「正社員の待遇を見直さなければならなくなる」と発言した八代さんを支持したのは、象徴的です。

つまり、興味深いことに、経済自由化の勝ち組・負け組が、既得権益者の糾弾という点では一致して、総選挙で、既得権の破壊を公約に掲げていると彼らが認識した党に味方することによって、勝敗を左右しているわけです。例えば2005年の総選挙では、郵便局員特定郵便局長を既得権者と認定して攻撃する小泉自民党が、今年の総選挙では「脱官僚」を掲げる民主党が、それぞれ彼らの支持を受けた結果、勝利したのです。

ところが、彼らが刹那的に支持した自民党民主党が、期待通りすんなり既得権を破壊してくれるわけではありません。なぜなら、それぞれの政党のコアの支持者たちは、まさに経済自由化によって脅かされている既得権の保有者たちであるからです。

今回、自民党総裁選で、マスコミ論調に反して地方票で谷垣が過半数を制したのは、自民党のコアの支持者は河野が訴えるような新自由主義的政策を支持しないからです。それでも何とか100票以上地方票を河野が獲得したのは、いわゆる「美人投票」の効果です。つまり、地方の自民党員たちは「河野の政策は嫌いだが、自民党が政権に復帰するためには新自由主義的な無党派層の支持を受けなければならないだろう」と推測しているわけです。

この点で象徴的だったのは、世襲五代目で、先祖が第一回帝国議会選挙の当選者であり、先日の総選挙で落選した小坂憲次が、テレビで「河野候補がいい」と表明していたことです。小坂はどう見ても伝統的自民党の政治家であり、ホンネで河野の政策を良いと思っているわけはないでしょう。しかし、何とか国会議員に復帰するためには、風が吹かなければならない。風を吹かせるためには、新自由主義的な河野が総裁になってくれるのがよい、というわけです。

元々、体質は新自由主義的でないのに、小選挙区の選挙に勝つために2003年の総裁選で小泉を担いで、いわゆる「毒饅頭を食った」時から、自民党に矛盾があったのです。だから、小泉の後継者たちの時代になるとホンネが復活して、新自由主義的政策は放棄された。そのため無党派層が離れ、このたびの総選挙で自民党は惨敗した。

重要なことは、新自由主義的な無党派層は、決して多数派ではないことです。ただ、総選挙の際、投票先を変えて、政策的にはそうでないのに中間投票者として振舞うことによって、選挙結果を左右してきた。そのため、自民も民主も、勝つために新自由主義的な政策を掲げざるを得ないのです。

しかし、政権を握って、実際に新自由主義的改革が実施できるかというと、なかなかそうはいかない。新自由主義改革は、かれらのコアの支持者の既得権を侵害するからです。例えば、小泉を継承した安倍政権では、「労働ビッグバン」が唱えられ、「ホワイトカラー・エグゼンプション」の導入が議論されましたが、マスコミが「残業代ゼロ法案」として報道したため世論の猛反発を食らい、改革は頓挫しました。

マスコミというのは奇妙なもので、選挙では新自由主義的改革を掲げる党や候補を支持するが、実際にそういう改革が実施されそうになると、こぞって反対に回ります。ホワエグの時そうでしたし、「後期高齢者医療制度」、「生活保護費の母子加算の廃止」、いずれもマスコミが否定的に報じたために、今や、民主党政権によって撤回されつつあります。社会保障費削減は新自由主義的経済政策の根幹です。「自己責任」と「働かざるもの食うべからず」は新自由主義改革の本質だということを糊塗するのは、誤報に等しい。

イデオロギーの次元でなく、経済学的にも、働く人に課税して働かない人にお金を上げることは、効率を損ねます。社会保障削減をともなわない新自由主義改革などありえません。

当面興味深いのは、もちろん民主党政権です。「子ども手当て」「後期高齢者医療制度」「生活保護費の母子加算の廃止」いずれも福祉国家の政策ですが、そのための財源を予算の組み替えで捻出するとしている。となると、これまでその予算の恩恵を受けていた人たちが相当の痛みを訴えることになります。10兆円に及ぶ膨大な組み替えで痛みを受けるのは、一部の特権的天下り官僚だけではなく、多くの民間人ですから。