ワルラス法則論争

これ、ちょっと、どういう論争なのでしょうか。

たしか、あれだよな。

国会で日銀白川総裁が「ワルラス法則は完全雇用でないと成り立たない云々」と証言したのが間違っている、という指摘がどこかであったし。

そもそも、我ながらこういうあやふやな理解では、学生に授業ができないな。

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http://matsuo-tadasu.ptu.jp/essay__100820.html

<小野さんからはまた、浜田宏一さんのワルラス法則理解が間違っているというご指摘も受けました。
 ボクは間違っていないと思ったので、パティンキンのワルラス法則の説明で反論したのですが、小野さんはもちろんそれくらいご存知でした。しかも、それが置塩信雄ワルラス法則理解であることもご存知でした。そうした上で、パティンキン=置塩=浜田=松尾のワルラス法則理解が間違っているとおっしゃるのです。

 もしそれが本当ならば、『痛快明快経済学史』でのボクの説明は間違いということになって非常に困ります。そればかりかこれまでやってきた経済学理解が全部間違っていたということになります。ボクが大学院時代に神戸大学にいたマクロ理論の先生は、足立英之さんも中谷武さんもみんな間違いということになります。いやそもそも、そうなるとヒックスも間違いということになるんですけど。
 うーむ。これは話が大きすぎて手におえないわ。ゆっくり考えてみないと。(中略)

それと、流動性のわなでは、金融緩和の効果はとても小さいということは一致しましたが、ボクは金融引締めをすると悪影響がすぐ出ると言ったのに対して、小野さんはそんなことはあるものかとおっしゃいました。引き締めの効果も緩和の効果も同様にゼロのはずだとおっしゃいます。

 議論するうちに、ここにも、ワルラス法則理解の違いが横たわっていることがわかりました。

 私たち二人とも、流動性のわなというのは、実質貨幣保有が増えた時に実質貨幣需要をどれだけ増やすかという割合が1になっている事態ということで認識が一致しました。このとき、貨幣供給を増やすと、貨幣需要も同じだけ増えるので、事態に何の影響も与えないということになるわけです。

 しかし、厳密に言うならば、貨幣市場均衡式における、貨幣供給である貨幣ストックと、貨幣需要関数に入る貨幣ストックとは、時点の違いがあるはずだとボクは考えます。貨幣需要関数に入っているのは、期首人々が持っていた貨幣ストックであるのに対して、貨幣供給となるのは中央銀行がその期に増やした分が入るはずだからです。だとしたら、その差の分が市場に影響するはずです。貨幣供給そのものではなくて、その変化が影響するのです。

 すなわち、ゼロ金利に至るまでは、中央銀行が毎期貨幣を増やし続けることによって、均衡GDPを落ち込ませずに一定に維持することができます。しかし逆に、貨幣供給の増加をちょっとやめたら、すぐに利子率が上がって産出が落ち込むわけです。

 これに対して、小野さんは、ストック変数に時点の違いをつける発想が、ヒックス=パティンキン=置塩=浜田のワルラス法則理解であり、間違いなのだとおっしゃいます。どうやらいろんな認識に影響する重大な問題であるようです。>