「菅はやめる間際に解散する」論

この人の予言自体は全然あたらない気がするけれど、これは面白い。

首相という仕事の最大の快感は、解散だものねえ。

どうせやめさせられるなら解散してやる、と考えてもおかしくない。

もちろん、自分の快感のための解散、なんて許されないことではあるが、そういう言い方はきれいごと。

最高裁は、これまでのところ、いわゆる「憲法7条解散」を認めている。つまり、総理大臣はいつでも好きな時に解散できる。小泉だって、郵政法案が否決されたのは参院だったのに、衆院を解散した。

菅だって、「社会保障と税の一体改革」や「復興プラン」で国民の信を問いたい、と考えているのではなかろうか。

そんなこと、民主党議員にとってはいい迷惑だが、反対する大義名分はない。ただし、避難生活を送っている住民が投票できる環境が整うことが条件だ。

現執行部だって、担ぐのは別に誰だっていいわけで、野田に替えたって、自公が協力してくれる保証はない。

正直言って、今の自公のやり方はひどすぎるので、何とか壊滅できないか、とすら思っている。自公が抵抗するのは、参院選で勝利して民意はこっちにある、と思っているからである。万が一、菅が総選挙であらためて勝利でもしようものなら、マスコミは自公の批判に回るだろう。

もっとも、現実的には総選挙で壊滅するのは民主党だ、とも思っている。

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http://news.livedoor.com/article/detail/5626914/

<その一つは朝日新聞「記者有論」の中で鮫島浩政治グループ次長が書いていた次のような記事だ。

 すなわち菅首相はかつて野党時代、歴代首相で一番評価できない首相として村山富一社会党党首をあげ、その理由として首相の大権である解散・総選挙に踏み切りことなく橋本龍太郎氏に首相の座を明け渡してしまったことだと語っていたという。「権力」の使い方を知らなかった社民党の党首には解散権を行使する意思も覚悟もなかったとつねづね語っていたという。

 そして鮫島氏はその論評を次の言葉で締めくくっている。

 「その菅氏が解散に踏み切ることなく、首相の座を去ろうとしている・・・菅政権は次々に押し寄せる問題の対応に追われるばかりで、あまりにも平凡におわろうとしている。本当に残念だ」

 もう一つの記事は下野新聞の「首相 ラストスパート」という記事だ。この栃木の地方新聞の記事はおそらく共同か時事の配信記事に違いないが、その要旨はこうだ。

 ・・・「まったく意気軒高。あらゆる政策に関心がある様子だ」。最近首相に面会した閣僚はあまりの元気さに驚きを隠せなかった。社会保障と税の一体改革などの課題を挙げ、自らの手で取り組む構えだったという・・・

 この二つの記事を読んだとたん、なぜか私は直感的に8月末の電撃解散を頭に浮かべた。

 そしてその思いはこの二つの記事を何度も読み返していくうちに確信に変わって行った。

 誰もが想像できない奇策。それが突然の解散。総選挙だ。

 しかも郵政民営化という瑣末な問題で国民の信を問うた小泉首相とは違う。

 どの政治家も、どの政党も、そして国民でさえも一致した結論を出せない大きな問題が山積している今の日本において、自らやりたいことをやってそれを国民に問う。

 それこそが本当の意味で「国民の信を問う」ことだ。

 それを否定できるものは誰もいないだろう。文句を言えないだろう・・・ >