行動ファイナンス

何も期待しないでください。ただ、池尾×小幡論争について一言。

「シュライファーと小幡しか知らない」と豪語したわけですから、小幡氏には行動ファイナンスの奥義を語るか、せめて「お前らに教えてやる必要はない」理由ぐらいは書いてもらいたいものです。

しかし、彼が説明する行動ファイナンスにおける裁定取引投資家とノイズトレーダーの関係の理解は、とても新古典派的、あるいは彼が批判する現代ファイナンス的であるような気がします。

彼が語る裁定取引投資家とノイズトレーダーの関係は、進化ゲームにおけるpredater-prey関係に似ています。ランダムに一対一で出会い、食ったり食われたり、というのではなくて、市場を通じて集計的に対峙するところが違いますけれど、定常状態でどちらも一定数生き残る「均衡」モデルを作ることは十分可能であると思います。とっくに誰か、そういう論文書いているのではないですか。

これに対して池尾さんが、

<乱獲を続けると、ついには資源が枯渇して、自らが困ることになる。これは、確かに正しい.。しかし、だから乱獲に抑制がかかるというのは、明らかに論理が飛躍していますよね。「共有地の悲劇」のようなことは、常に起こり得るのであって、この場合にそれが生じないというなら、そのメカニズムを明示的に示す必要がありますね。>

と反論するのは自然であって、そういうメカニズムを(つまりモデルを)説明しないと、「行動ファイナンス」という呪文を使って、説明から逃げているだけになってしまうのではないですか。

http://blogos.com/article/29442/?axis=b:226

<後者の定義となれば、定義上、崩壊するまではバブルと確定しないのであるから、バブルの価格上昇局面ではそれがバブルとは決まらない。これを、バブルの最中は誰もバブルとわからないのだから、という風に使うことが多いが、これは間違っていて、定義として確定しないが、バブルの最中に、その中にいるほとんどのプレイヤーはバブルであると気づいているのである。むしろ、それがバブルであるから、ファンダメンタルズなどから行くと割高だが、バブルだからまだまだ上がるだろうと思って投資するのである。>

このバブルの定義にしても、とても新古典派的な学者であるHyun Song Shinがキャリー・トレードのモデルとして提案したアイデアと同じではないか。

http://blogs.yahoo.co.jp/mazepparrigo/3050837.html

ところが、小幡氏に言わせると、こういう「マクロ行動ファイナンス」は難しいので、経済学者も挑戦しないということらしい。

http://blogos.com/article/29304/?axis=b:226

<この第三部の問題点は、そのようなモデル、理論的ツールが完成からほど遠いどころか、ほとんど開発されていないところだ。現時点では、私の妄想に近い、といわれても仕方がない状態だ。そして、今後、そのようなモデルを作ることが可能か、という問題がある。この問に対しては、現代ファイナンス(あるいは新古典派的な経済学者、あるいは普通の経済学者)の側も、行動経済学者であっても、懐疑的だ。だから、マクロ行動経済学をあきらめ、あるいは、もともと無意識のうちに、そのような成功しそうもないアカデミックベンチャーは選択から排除し(こういう行動パターンを選択的に確立するのが、前述のモデルの一部である)、神経経済学や細かいモデルの精緻化、実験に経済学者のエネルギー資源が配分されている。>

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http://blogos.com/article/28811/

<行動ファイナンス理論は、裁定取引投資家はプロフェッショナルとして、それだけを業として発展することは不可能であることを示す。

LTCMの例で明らかなように、裁定取引のチャンスは限られており、それで儲けると言うことは、将来の儲けの機会を枯渇させるということだ。それが市場が効率的になると言うことだ。とりわけ、ノイズトレーダーを裁定取引によって、追い込んで駆逐してしまっては儲けの種がなくなる。ノイズトレーダーがいなくては、裁定取引の機会は生じないからだ。

したがって、市場が効率的であることと裁定取引投資家がプロとして存続し続けることは両立しない。ノイズトレーダーと裁定取引投資家とは、仲間であり、共存共栄なのだ。

裁定取引投資家が圧倒できない理由は、ノイズトレーダーとのこの関係にある。

つまり、ノイズトレーダーなしでは、存在し得ないにもかかわらず、彼らをある程度駆逐しなくては儲けられない。駆逐しすぎると、失業する。これが第一の関係。しかし、これだけではバランスが悪い。密漁により絶滅してしまう魚みたいだ。実際、裁定取引投資家の方が立場は弱いのである。なぜなら、ノイズトレーダーが存在しないと儲けの機会が無い。しかし、ノイズトレーダーがいること自体がリスクとなって、裁定取引を行うことが出来ない。これが行動ファイナンスでいうところのノイズトレーダーリスクだ。>