元禄デフレ

まあ、そういうことなのかね、、、

不換紙幣の信用というものが、技術的に困難だった時代には、貨幣の不足という問題がたびたび起こっていたようです。

中高の歴史教科書では、「勘定奉行荻原重秀が貨幣を改鋳し、庶民はインフレで苦しんだ」と教えられているわけですが、逆でしょうか。

<研究の結果、改鋳以降11年間のインフレ率も3%程度と言われており、また、当初の目的である幕府の財政赤字を埋めるに十分でした。>

これはリフレ断行すべし、ということかな。

<また、幸運なことに、蓄財に励んでいたお金持ちの方々は、保有していた小判の価値が落ちたので、現金で持つことを止めて、投資をすることを増やしたそうです。>

これは「トービン効果」というやつだが、新古典派モデルでこれを導き出すのはきわめて困難だぞ。

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http://blogos.com/article/31188/

<というのは、ふと、日本の元禄文化を思い出したわけです。
ご存知の方も多いと思いますが、元禄文化はバブルなのです。

簡単に説明しますと、これも先日このブログに登場してもらった綱吉の時代の話です。

時代背景としては、

1、 金銀の新規の鉱山が発見されず、金銀の海外流出という金の不足が明確
2、 幕府財政は歳入80万両、歳出140万両と、今の日本に似たような財政赤字
3、 経済発展に比例して貨幣量が増えていないから、デフレに陥る(米の収穫量が増えても、貨幣量が一定であれば、米の値段が下がる)
4、 明暦の大火(自然災害)で復興費用に資金が必要

です。

こういう時に、荻原重秀が、貨幣改鋳を行い、慶長金銀を改鋳し、金の含有量(84%から57%)を減らした元禄金銀を作ったのです。
こうなると、政府は、大量の金貨を発行でき、その差額は500万両から1000万両であったといわれています。

研究の結果、改鋳以降11年間のインフレ率も3%程度と言われており、また、当初の目的である幕府の財政赤字を埋めるに十分でした。
また、幸運なことに、蓄財に励んでいたお金持ちの方々は、保有していた小判の価値が落ちたので、現金で持つことを止めて、投資をすることを増やしたそうです。
おかげで、世の中、お金が回るようになり、元禄文化なる華やかな時代がやってきたのです。

その後ですか。
ガチガチの儒学者である新井白石によって、この改鋳の反対が行われたわけです。
徐々にですが、元に戻そうということですね。
デフレ政策です。
儒学者にとっては、許しがたい政策だったのでしょうね(儒者にとって、商業は、卑しい仕事ですからね)。

もちろん、現在とは、時代がまったく異なるのですが、何だか、似ているなと思うのは私だけでしょうか。>