保険として運営できない理由

新自由主義バイアスが目立つとはいえ、この認識にはほぼ同意します。だいぶ以前の記事です。

要は、医療も年金も、もっとしっかり保険として運営すればよいのですよ。

どうしてこれができないかというと、まず、年金については、社会保険料負担は雇用への課税だからできるだけ減らした方がよい、という正論。しかし、その実、企業負担を減らしたいという財界への迎合でしょう。

最近は、団体献金が厳しく規制されて、政治家が資金的に依存する割合はだいぶ低くなってきたのに、どうしていつも財界の意向を気にするんだろうね。やっぱり、「日本から出ていく」という脅迫が効いているのかね。

次に医療については、日本医師会の抵抗。医師会は、保険料引き上げ、窓口負担増、どちらにも反対している。

団体献金はダメで個人献金中心となって、政治家の医者への依存は強まりこそすれ、弱まることはないでしょう。

医者の言い分は、「窓口負担を増やすと、軽いうちは医者に来なくなって、手遅れになってから初めて来る人が増え、かえって高額の措置が必要になる」というもの。本当かね。

鈴木亘も、テレビでは政府批判こそすれ、財界や医師会の批判などしない。そんなことしたら、テレビにだしてもらえなくなる。

例によって、文字化けリンクで、日経には腹が立つ。もっとも、有料契約しないと読めません。

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http://www.nikkei.com/search/article/g=96959996889DE0E2E1E7E3E7E5E2E0E3E3E0E0E2E3E29997EAE2E2E2;DETAIL_STYLE=0;ORD_KIND=kdt_DN;h=1;bu=BFBD9496EABAB5E6B39EB5BBA291E1B6A796A6A2B7E290AB8394B893F9E5B087E59790BFB4A794A0ABBCB9E3E391B5828686A0E190E6EA9B938599B7B09FE0A38AB9EA93859AA694A38AAB988BE6F9E293E3EAB984E0B9E396A1E793999E9DFDB5BA8A96EBA5B6E6E7E2E3A0E3E394BBB086E7F9EB9895AA97BCE5B9958BA1F9BEB3E5BF8BE69D98E083B89FE296E78AE29E9CB0ABA0BF979BE6BEE1E195E5A78282E79EE697B8E3AAB488BFB6B793A78597A78591A3E0E493A1ABB6A2A48BB0BA9D9AA2B1E682BF99B5BBBCA5869EA0B0B4B9E7B19FB7BDBD97A782E1A3BCB5B382BCBABFE3E48ABCE3E6A1E788FDA397AB9C9FB5B0E29D97FDA8A1959DAAB3B691BC9FA1A0EAE0998BB49A98E4BBB5B99EEA84E7BC9C8BE3A291B490F9AAE096BCB795F99F82E088869A82978BB7EB8696E4B8AB988BA1A7A3E0BFB9EBA180F98B9AA283BBE5B79D88BFB59EE4BBBEB384A7E5BFE1B6A098A79499AB958394919A9886FDB7A4ABB59697EF;df=2;bj=2007~2F03~2F17;di=ATCSF11;dj=254994b20ea8de0e725b3f30b2e35478c6d30;searchKeyword=~E9~88~B4~E6~9C~A8~E4~BA~98;bi=2012~2F03~2F17

<もちろん、生活保護費や社会福祉費、保健衛生対策費といった公費で実施すべき施策はあるが、10年度でこれらの予算額はわずか6.6兆円にすぎない。社会保障関係費の残りの20.7兆円は、本来なら保険料で運営されるべき社会保険に安易に投じられている莫大な公費なのである。

 すなわち日本では、基礎年金財源の半分は公費であるし、医療保険においても、後期高齢者医療制度や、国民健康保険国保)、共済健保の給付財源の半分が公費で賄われている。また、介護保険に至っては、公費負担は6割近くに達しており、雇用保険でさえも13.75%の公費が投入されている。その結果、社会保障制度全体の約3割が公費負担で賄われている。

 もちろん、低所得者や弱者に対して、公費による配慮が必要であることはいうまでもないが、日本の場合の公費投入は、どんなに高所得者であっても一律に行われている。その莫大な規模とともに、公平性の観点から到底支持できるものではない。

 実は、こうして安易に投じられる公費が、給付と負担の間の関係を曖昧にして、国民の社会保障制度に対する「コスト感覚」を失わせているといえる。給付が拡大しようと高齢化が進もうと、保険料が低いままであれば、それが当たり前の既得権となり、国民は「社会保障は拡大してほしいが、保険料や自己負担は引き上げたくない」という財政的に矛盾した考えを持つ。

 また、自己負担率や保険料が本来あるべき水準よりも低いことから、過剰な需要が生まれている。この過剰な需要こそが、医療・介護・保育で待機者問題を引き起こしている主因なのである。さらに、多大な公費の存在は、過剰な行政介入、参入規制を正当化するから、この分野に新規参入が途絶えて、既存業者の高コスト体質が温存され、公費効率化がなかなか進まない。>