貨幣の本質は生産力?

経済学だって、別に生産力を無視しているわけではありません。金利の背後に生産力があるわけで。

「シニョリッジが金利の現在価値」であるのは、金利がプラスでないと財政ファイナンスに(インフレ課税に)ならない、というだけのことです。別に「本質」ではありません。

貨幣サーチ理論では、貨幣で他人の生産力を買えるわけであって、それは「みんながそういうものと思っている」共同幻想だと言っても、「労働力が体化されている」と言っても、それは言い方の問題にすぎません。

貨幣の本質が共同幻想だとしても、労働力の体化だとしても、経済学のモデルにおける表現としては同じになります。

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http://d.hatena.ne.jp/shavetail1/20120722

<貨幣は担保が国の債務、実体は通用地域の生産力ですね。
経済学者の書いたものを読んでもこの点を勘違いしている人が多すぎます。
例えば東大の岩本氏は貨幣の価値として、シニョリッジを金利の現在価値など言っていますが、生産力がなければそんなものは無意味ですから、ちゃんと分かっていないとしか言いようがないですね。

岩井克人氏の貨幣論も貨幣は貨幣だから貨幣というわけがわからない結論です。

私は物々交換でも貝殻貨幣でもフクロウ銀貨でも兌換紙幣でも不換紙幣でも、常に貨幣の裏付けは生産力であるという見解こそが貨幣の本質だと思いますが、経済学者でそう捉えている人を知りません。 マルクスはこれに近い主張をしたのですが、残念ながら、どの人の労働も同じ価値という間違った仮定を入れたため、全体がおかしくなってしまったようです。>