福祉国家レジーム論

本日の日経「経済教室」でホリオカと神田玲子による「福祉国家ジーム論」が出ています。

日本は、仏型保守主義と米型自由主義の折衷から、ウェーデン型社民主義と米型自由主義の折衷へと移行すべきだと説いています。

福祉国家ジーム論」の元ネタは、この本から来ています。
アマゾンの書評に出ている要約が素晴らしいので御紹介。

実際、「第3のやり方」である日本では、制度間の対立がひどいものね。

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http://www.amazon.co.jp/Three-Worlds-Welfare-Capitalism-Esping-Andersen/dp/0745607969/ref=cm_cr_pr_product_top

<大ざっぱに言って、福祉のやり方(というか、福祉国家のやり方)には3つある。
 一つ目は、できるだけ何もしないこと。それなしには確実に死んでしまう人を、所得や財産というふるいにかけて慎重に選び抜き、その人たちだけに、最低必要なものを(しばしば足りないこともあるが)提供するというやり方。

 二つ目は、可能な限りすべての人のすべてのニーズをカバーすること。「あんたは○○だから、この制度の適用はうけられない」ということはやらない。みんなから同じだけの資金を集めて(同じプールにあつめて)、同じ条件なら同じだけ提供する。貧困も、病気も、介護も、育児も、ときには教育といったことについても、とにかくできるだけ広いニーズに対応する、そんなやり方。

 三つ目は、システムを分けて対処するやり方。対象者ごとにお金のプールも配分ルールも分ける。サラリーマンの福祉システム、自営業者の福祉システム、農家の福祉システム、公務員の福祉システム、エトセトラ。ニーズごとにお金のプールも配分ルールも分ける。病気のためのプールとシステム、貧困のためのプールとシステム、失業のためのプールとシステム、エトセトラ。とにかく分けるそういうやり方。
 詳しいことは省くが、第1の典型が英米で(イギリスはちょっと違うけど)、第2はスウェーデンなどの北欧諸国で、第3はドイツが典型といえば、少しはイメージしやすいかもしれない。

 第1のやり方だと、福祉の対象になるのは「特別なひと」に限られる。だから福祉がスティグマとなる。福祉にかかることが忌まれ、嫌われる。何かよくないことのように思われる。

 第3のやり方だと、それぞれのシステムが対象としている集団がいる。もともとは、ビスマルクあたりが資本主義もいやだが社会主義もいやだ、だったらこっちのグループを抱き込んじゃえ、あっちのグループをひいきしちゃえ、と始めたやり方だが(これが最初の「福祉国家」である)だから、それぞれの集団の間の断絶、いがみあいが起こるのは必須である。なんであいつらだけが、という話にすぐになる。制度が変更されるたびに、別のところで「ひがみ」が生じる。互いに足を引っ張り合って、福祉の水準は上がらない。ちがうシステムで対処すると、対象者グループの分裂が再生産され、対立も再生産される。

 第2のやり方を語るには、字数が足りません。本を読んでね。 >