景気はGDPでなく失業率で判断せよ

労働市場改革不要論」の続きです。

http://blogs.yahoo.co.jp/mazepparrigo/32252820.html

ほら、コチャラコタもこう言っているじゃない。
(この人、ヘンな名前に聞こえるかもしれないが、新古典派のエライ学者です)

http://d.hatena.ne.jp/himaginary/20100522/Modern_Macroeconomic_Models_as_Tools_for_Economic_Policy

<総体的な経済の下降は、多くの人にとって、ある確率で所得のかなりの割合(50%ないしそれ以上)を失うという気の滅入るサイコロゲームとなる。総体的な経済の下降が人々にとって問題となるのはこの余計なリスクのためであり、平均的な損失のためではない。

景気後退についてこのように考えれば、適切な政策対応についての見方も変わってくる。良い社会保険(たとえば失業給付の延長)が重要となる。GDP成長率を景気後退や回復の尺度として使うのは問題が多いように思われる。代わりに、失業率が、総体的なショックの集中度合いを測るのに(不完全とは言え)有用な尺度となる。>

総需要ショックがあった時に、すべての人の所得がバランスよく減るならば、保険がうまく機能しているということで、経済はより効率的というのが今の新古典派経済学の考え方です。

つまり、失業率がそれほど増えない日本は、「総体的なショックの集中度合い」が低い、ということで、保険市場がより完備している効率的な経済ってことになるんではないの?

もっとも、コチャラコタも保守派つまり改革派(不思議なことに経済学では保守派というのは改革派のこと)なので、日本経済はやっぱりダメ、改革が必要、と言い出しそうな気はする。

もっとも、彼の仲間のAtkesonやKehoeは、「デフレは無問題」という論文を書いていたし、ゼロ金利は最適な金融政策(Friedman Rule)のはずだし、新古典派経済学者はもっと日本経済をほめてくれてもよさそうな気がするのだが。

Deflation and depression: is there an empirical link?
A Atkeson, PJ Kehoe - American Economic Review, 2004 - JSTOR

コチャラコタの原文はこちら。

http://www.minneapolisfed.org/publications_papers/pub_display.cfm?id=4428

彼は今、ミネアポリス連銀の総裁なのね、、、、私の師匠もそろそろこういう重職になりたがっている気はします。