株主 VS ステークホルダー

takeoverの理論的な整理としては、株主がtenderすることが、
positive、negativeどちらのexternalityを持つかが重要で、
positiveな場合、free-rider problemが発生し、
negativeな場合、pressure-to-tender問題が発生すると認識しています。

この観点による洗練された論文は、Segal(1999JPE)だと思うのですが、
そこでは、raider(Principal)-shareholder(agent)問題として分析がなされていて、
incumbentからの抵抗はほとんど無視されています。

私的利益にしても、raiderのそれは考慮されることが多いのですが、
incumbentのそれは無視されている。
おそらく、incumbentの私的利益というのは特殊日本的な文脈なのですね。

externalityについて、pressureとfree rider、
どちらの問題を重視すべきかというと、
既存の文献やTiroleの教科書では、買収者の良し悪しで区別しています。
でも、事前的には、どちらの買収者が現れるかわからないんだから、
平均的な買収者の質についてどういう想定をするか、という問題になります。

ところが、どういうのが平均的な買収者になるかは、
どういう買収制度を作るかに依存しますよね。
こうなるとすでにマクロの問題。
でも、こういうことはまだ、Tiroleの教科書に書いてない気がする。
そもそも、Tiroleの教科書のtakeoverの章には、練習問題が一つしかない。

さらに、仮に買収者が眼前に現れても、
普通はいいか悪いかわからないのだから、
非対称情報の問題が起こります。
なんかシグナリングのメカニズムとか考えるんでしょうか。
(こんなの、大量に論文がありそうだが)

イタリアの株式市場では、無議決権株式がめっぽう安いという話ですが、
単純な説明としてはこうだと思います。

買収プレミアムは議決権株式に対してのみ支払われるんでしょうが(違う?)
externalityを考慮して買収者はプレミアムの大きさを決める。

raiderがincumbentよりも優秀であれば、
それだけ高いプレミアムが支払えるわけですが、
そうでなくても、incumbentが私的利益を多く抱えていれば、
買収によってそれを吐き出させることができ、
その一部がプレミアムとして支払われる。
したがって、私的利益が大きい経済ほど、
無議決権株式と議決権株式の価格差は大きくなる。

プレミアムを通じて株主の利益になるんですから、
incumbentの私的利益がかなり広範に存在する経済では、
ある意味、どんなraiderでもvalue-enhancingですよね。
となるとフリーライダーが問題となる。
ただでさえ効率的な買収が阻害されるのに、
買収防止策なんぞやったら、いっそう弊害は大きい。

ブルドッグの場合は、incumbentの私的利益の一部が、
raiderに対して「追い銭」として支払われたわけですが、
私的利益のすべてが吐き出されたわけではありません。
結局買収は実現せず、残りの私的利益は温存され、
株価も元に戻ったんでしょうから、
私的利益の一部を得ていた「ステークホルダー=株主」を除いて、
一般の株主には何もいいことがなかったのではないか。

ステークホルダー資本主義論」が良いか悪いかはともかく、
日本の特殊性は、取引先などのステークホルダーが株主の大半であり、
株価や配当以外の源泉を通じて、
私的利益の一部を受け取っているところではないでしょうか。

仮にraiderの経営能力がincumbentより低くても、
incumbentの私的利益が十分に大きければ、効率的な買収になりそうです。
株主が、incumbentの私的利益の一部を、自らはもらわず、
買収を阻止するために活用することを支持するのは、
彼らがステークホルダーだからでしょう。

日本の場合、単純に企業価値に注目して、良い、
悪いを論じるのは皮相な気がします。

ブルドッグの場合、結局、株主価値を高める機会は失われたと思います。
買収防衛策が法廷で認められたとして、それは、
私的利益を株主に還元せず、買収阻止のために活用することが正当
と認められたということに過ぎません。

しかし、これによって、取引先を含むすべてのステークホルダー
価値は守られたわけで、「ステークホルダー資本主義論」に立てば、
いったい何が悪い?ということになりかねません。

つまり問題は、ステークホルダーでない株主の利益の最大化を
どのように擁護するかということだと思います。
つまり、少数株主の保護こそ、「株主資本主義」の真髄だと思うのですが。