吉本隆明

今日のヨニウムさん、いいこと言っている。例によって、1日だけしか全文読めません。このセコさがこの人の残念なところだ。

私は80年代の大学生で、60年代には教祖だった、ということが今一つピンと来ないのだが、大学生の頃、主要著作(詩歌を除く)はだいたい読んでおります。

結論から言うと、60年前後の政治論、それから一連のキリスト教論と親鸞論、これがこの人の頂点で、それ以外は、言っちゃ悪いが、ゴミみたいなものです。

主著三部作『共同幻想論』『言語にとって美とは何か』『心的現象論』はいずれも、部分的に面白いことが書いてあるような気がするけれど、ほとんどナンセンスな言葉の羅列です。理解しようとする努力する方が悪い、と言ってよい。

しかし、わけのわからないことを書くから教祖になれるのですよ。

昭和末期から平成期のテレビを含むサブカルチャーのリーダーたちが、若いころははだいたい反代々木系新左翼運動家であって、吉本の影響下にあり、その後、それぞれ消費社会と資本主義に迎合し、個人的にも成功したことに対して哲学的なお墨付きを与えてくれたのも吉本、という指摘は、おおむね正しいでしょう。

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新左翼というのは、旧左翼すなわち共産党(代々木)をスターリン主義として批判し、マルクスレーニンの本来性に還ろうとした思想潮流であり、政治勢力としては革マルや中核や連合赤軍に分かれた革共同と共産同の系譜である。

現在、政治勢力としての新左翼は潰えて地上から消滅したも同然だが、旧左翼の方はなお組織と勢力を維持している。新左翼の主力となっていたのが団塊の世代で、学生時代に大学紛争に関与している。糸井重里がそうだし、松岡正剛猪瀬直樹がそうだ。他にも大勢いる。

この者たちは、共産党を否定し戦後民主主義を否定した60年代は、マルクスに夢中になって熱狂しながら、70年代後半には改宗して脱構築に転じ、80年代にはその布教者となり、90年代以降は脱構築を保守化させ、新自由主義と癒着させて行くのである。彼らの60年代から80年代の思想旋回を先導し、灯台となり、安心感を与える守護神となったのが、カリスマ教祖だった吉本隆明ではないか。そのように役割を看取することができるだろう。

カリスマ教祖が「赤信号、皆で渡れば恐くない」と範を垂れ続けてくれたので、バブル期に消費社会の礼讃で狂躁することもできたし、その後の小泉・竹中の構造改革への追従にも積極的に参加できたのである。マスコミが高く評価して言う吉本隆明の「大衆性」というのは、実際には俗情への迎合であり、阿世の機敏な対応の意味である。吉本隆明の思想経歴をトータルに観察すれば、そう言わざるを得ない。>