世間的な非難を浴びている人の人権をも尊重できるかどうか

うん、よい意見だ。

http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/a71c1a9533b1a9ee1f372c548ac3799c

<犯罪者に人権などない、犯罪者には何をしたっていい~みたいなのと丸っきり同じ発想が昨今の電力会社を巡る言論には表れています。犯罪者であっても無限に罰せられるべきものではなく刑は罪に応じたものでなければなりませんし、未成年犯罪者や親族のプライバシーが興味本位で晒される類のことはあってはならないことのはずです。そして電力会社に対して金銭的な補償を求めるにしても、それは適切な範囲というものがありますし、同様に電力会社には何をしても許されるわけではありません。にも関わらず、不可能であることが明白な要求を東京電力が拒んだからと林野庁が「風評被害をあおりかねない行為」と称して強権を振るうとあらば、それはすなわち「おまえに反論する権利はない、おまえは何を言われても黙って受け入れろ」と迫っているのと同じことです。

一口に修正主義者という過去の歴史を歪曲しようとする人々が思い浮かびますが、世間で「修正」の対象にされるのは旧日本軍の行為ばかりではありません。極右であれば日本軍による殺戮行為を「なかったこと」にしようとする、経済誌を受け売りする知ったかぶりであればバブル崩壊後の専ら中高年を狙い撃ちにしたリストラの嵐を「なかったこと」にしようとする、ポピュリストであれば公務員の給与水準が年々下がり続けていることを「なかったこと」にしようとする、そして昨今は東京電力で進行中の給与カットや人員削減をを「なかったこと」にしようとする人がいるわけです。いかにコストが増大して従来の電力料金での運営が不可能になろうとも「自助努力が足りない、リストラでやるべきだ」と馬鹿の一つ覚えで現実に向き合おうとしない人が喝采を浴びたりもしています。こうした現実に起こったことを「なかったこと」にする否定論者が世間に受け入れられてしまうことには危機感を覚えるばかりです。

 それはさておき、世間的な同情を集めている人間の人権を擁護するのは簡単です。「無垢な」子供であったり「一方的な」被害者であったり、こうした立場に味方する人はいくらでもいます。でも、何らかの「非」や「負い目」のある相手に対して我々の世間は冷たいものです。例えば犯罪の加害者もしくは容疑者のであったり、社会保障の受給者であったり等々、こちら側の人々に対してはむしろ拳を振り上げるのが正義みたいなノリも少なくありません。だからこそ、問われるものもあるのではないでしょうか。世間的な非難を浴びている人の人権をも尊重できるかどうか、そこで本物かどうかが問われます。世間の同情を集めている人の人権しか尊重できないようであれば、それは幼稚な正義感を振りかざす野蛮人でしかないと思うのです。

 JALの大規模リストラの時だって、必ずしも労働者側に十分な同情が集まったわけではありませんが、それでも一方的な給与カットや年金の減額、退職強要など労働条件の不利益変更の類には反対の声を上げる人も多少はいたものです。しかし、同じことが電力会社に対して行われている今、そこに異議を唱える人がどれだけいるのでしょうか。電力会社社員にも負い目があってなかなかリストラ圧力に抗いにくい環境であろう今こそ、周りの人間が声を上げる必要があるはずです。しかし、犯罪の「被害者」の人権は尊重できても「加害者」の人権は蔑ろにする人と同様に、日頃は労働者の権利を重んじる風を装いつつも電力会社社員の労働者としての権利を無限に否定している人が溢れています。それが正体なのでしょう。あなたの会社が世間の非難を浴びるようになったとき、あなたの給与を好きなようにカットできる、もしくはあなたを首にできる、そういう社会を目指して我々は突き進んでいるようです。>