プルトニウム再処理

日本がプルトニウム再処理をやめられない事情については、この記事がとても詳しく、参考になる。

元々、アメリカは日本のプルトニウム再処理に反対だったので、外務省が必死に交渉して認めさせた。で、今になって「やめます」とはとても言い出せない、ということらしい。

日本は資源がないので再処理が絶対必要、と言っていたのに、急にプルトニウム再処理どころか原発までやめると言い出せば、「エネルギー安全保障のため再処理が必要と言っていたのは何だったんだよ?核兵器を作るための再処理済みプルトニウムが欲しかっただけじゃね?」と言われかねないんだって。

しかし、今思えば、しょせん、原発村の事情を外務省が一所懸命弁護してアメリカに認めさせただけではないか、という気もするけれど。

<1・1973年の石油危機の直撃を受けた日本にとって原子力発電はエネルギー安全保障上必要不可欠である。
2・しかも資源小国日本にとってウラン燃料は貴重な資源で、最後まで丁寧に利用する必要があり、再処理は不可欠。
3・軽水炉高速増殖炉でのプルトニウム再利用も必要。
4・他方、日本は原子力基本法で自ら平和利用に限定するとともに、「非核三原則」を国是として定め、かつNPTの加盟国としてIAEAの全面的保障措置 (査察)を受け入れているから、秘密裏に核兵器を造ることはありえない。
5・余剰プルトニウムは一切持たないし、プルトニウムの保管・管理はIAEAの規則に従って最大限厳格に行う、等々と理路整然と主張し、米側の理解を求めた。

こうした主張の正当性は現在でも全く失われていないと思う。>

と言うけれど、今は、こんな主張の正当性、あまり感じられないよね。だって、再処理のコストが高くなりすぎているんだもの。


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http://blogos.com/article/49668/?axis=&p=2

<実は、この話には長い歴史的経緯がある。1970年に核不拡散条約(NPT 核拡散防止条約とも呼ぶ)が発効した後、1974年にインドが「平和目的」と称して独自の核実験を行ったために、米国やカナダ、オーストラリアなどの供給国が危機感を抱き、核不拡散政策を急に強化し始めた。これらの国は、天然ウラン(加豪の場合)や濃縮サービス(米国の場合)の供給能力をテコに、2国間原子力協定により、自国産のウラン燃料の再処理を規制、原則的には禁止する政策を採り始めた。

特に厳しかったのは1977年1月に登場した米国のカーター政権(1977-1981年)で、「米国自身も民生用の再処理と高速増殖炉開発は無期限に中止するから各国も是非そうしてほしい。従わない国とは原子力協力を行わない」と宣言。そして、この新政策の最初の適用国(つまり犠牲者)になったのが他ならぬ日本だ。

折しもその頃旧動燃事業団(現日本原子力研究開発機構)の東海再処理施設が完成し、同年初夏には運転開始というタイミングで、日本としてはまさに出鼻を挫かれた、というよりいきなり横っ面を引っぱたかれたように、国内は大ショック。政府・経済界はもとより、マスコミさえも「国難来る!」の危機感を持って挙国一致、対米原子力交渉に全力を挙げることになった。(中略)

「再処理は日本のエネルギー安全保障上不可欠だ」
日米交渉の最大の眼目は、日本にとっては、米国産のウラン燃料を再処理し、抽出されたプルトニウム軽水炉高速増殖炉で使用する権利を米国に認めさせること、米国にとっては、日本による再処理を断念させ、それを先例として全世界の核拡散に歯止めをかけることであった。

すなわち、NPTではその第4条で原子力平和利用活動は締約国の「奪いえない権利」と規定しているが、その権利の中味が不明確で、再処理や濃縮も含まれていると解される余地がある(現在イランが自らのウラン濃縮活動を正当化しているのもそのため)。この重大な条約上の穴を、米国は2国間原子力協定交渉で埋めようとし、必死になって日本を抑えにかかったのである。

対する日本は次の政策の根拠を示した。

1・1973年の石油危機の直撃を受けた日本にとって原子力発電はエネルギー安全保障上必要不可欠である。
2・しかも資源小国日本にとってウラン燃料は貴重な資源で、最後まで丁寧に利用する必要があり、再処理は不可欠。
3・軽水炉高速増殖炉でのプルトニウム再利用も必要。
4・他方、日本は原子力基本法で自ら平和利用に限定するとともに、「非核三原則」を国是として定め、かつNPTの加盟国としてIAEAの全面的保障措置 (査察)を受け入れているから、秘密裏に核兵器を造ることはありえない。
5・余剰プルトニウムは一切持たないし、プルトニウムの保管・管理はIAEAの規則に従って最大限厳格に行う、等々と理路整然と主張し、米側の理解を求めた。

こうした主張の正当性は現在でも全く失われていないと思う。

日米交渉は以後延々10年間にわたり断続的に続いた。そして、我が方の必死の努力が奏功し、ついに米国も東海再処理施設の稼働と将来の大型再処理工場(六ヶ所)の建設、英仏への再処理委託、FBR研究開発等を認めた。

1988年に発効した新日米原子力協力協定では、日本は、米国産ウラン燃料の再処理についての「事前同意」を協定の有効期間の30年間(2018年まで)与えられている、つまり事実上のフリーハンドを認められているのである。米国も、同盟国である日本が、再処理を含む原子力発電活動の継続によりエネルギー安全保障を確保し、日本のみならずアジア、ひいては世界のために貢献することは望ましいと考えているからである。

現在日米間では、3.11の教訓を生かして、一層安全な原子炉開発・製造、原発輸出、安全性、廃棄物処分、人材育成など様々な分野での協力活動が活発に進められていることは周知のとおり。野田・民主党政権の「原発稼働ゼロ」政策により、こうした協力活動ができなくなることが両国にとっていかに不利、不幸なことであるかは言うまでもない。>