「わかりやすさ」を求める大学生

いちいちごもっとも。この時期、大学教員なら誰もが思うことかもしれません。

<「わかりやすさ」を求める「素人」には何かを理解する事など不可能>その通り。

残念なことは、最近、大学生がこういう「わかりやすさを求める素人」になってしまっていることです。また、わからないのは教える方が悪い、というような風潮を大学当局も容認している。

ヘンな言い方に聞こえるかもしれませんが、本来、選良たる大学生に対しては、教師は挑戦的であってよい。多少わかりにくいかもしれないが、歯ごたえのある教材を提供するべきです。

例えば、「テイラー・ルール」を教える場合、池上彰さんのレベルで満足する学生では困るわけです。だから、導出過程を、ある程度厳密に示した参考プリントを作って配布します。もちろん、学部レベルでこういうテクニカルなことを使いこなす必要はない。しかし、そういう厳密さへの欲求があってこそエリートというもの。

「大学大衆化時代に何言ってるの?」と思う向きもあるかもしれませんが、今教えているのは、いちおー、一流大学なんですよ。

もちろん、そういうテクニカルなことを試験で問うことはなく、同時に提供している「わかりやすい」プリントをしっかり読んでいれば、Aが取れるのですが、どうも、それも怪しい。

講義ノートをしっかり作ると、学生は試験前に詰め込めば何とかなると思ってしまい、かえって勉強しない傾向があります。講義ノートがしっかりしているということは、教える知識の量も多くなりますから。

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http://news.livedoor.com/article/detail/5372611/

<残念ながら、昨今、皆自信家なのか、基礎知識すらない状態でも「わかりやすい」説明さえあれば、自分は理解できる、と考えるようです。

「わからないのはわかりやすい説明をしない話者が悪い」という事らしい。もちろん、わかりやすさを欠いた説明は望ましくない。でも、全て話者に投げてしまって、自らの理解力不足を省みないのは問題です。

ハッキリ云ってしまえば、「わかりやすさ」を求める「素人」には何かを理解する事など不可能です。

私の研究であれば、優秀とは言い難いですが研究者として20年近く、人生の大半を注ぎ込んで学習・研究・試行錯誤し、ようやく見出した結果を、「素人」がちょっとやそっとで理解しようとしたって出来るものではありません。そんな事が出来るなら、こちらも苦労はしてません。

もちろん、発見の困難さと理解は必ずしも一致する訳ではないのは、ゼロという概念が小学生でも理解出来るのに対して、発見に夥しい歳月が費やされた事を考えれば、確かです。

ですが、やはり先達が確立してきた道程をまったく辿らずして、「わかりやすさ」に飛びついても、それは理解とは云えないのです。

もちろん、我々は「わかりやすい」説明に努めていくつもりです。それは自らの為でもあるから。

でも、知ろうとする側が安易に「わかりやすい」に飛びつくべきではありません。まして、わかりやすい説明でわかった気になってはいけない。そこで終わりにするのではなく、その先に進み、自分が「何が分からないのか」に気づかなくてはいけません。

わかりやすい説明で、そうだったのか、と想うのは終点ではなく、始まりです。わかりやすさ、に甘えるのにはご注意を。 >