また始まった「基礎学力重視」批判

冷泉さんって、NY日本人学校の先生でしょう。アメリカの事情を十分わかっているはずなのに、どうしてこういうこと言うかな。

こういう、一事件を大きくとらえて一般化し、何かシステムや制度の改革を唱える意見にはウンザリしますよ。「派遣切り」とか、「学生の就職内定率」とか。

ついこの間、「ゆとり教育」批判があり、基礎学力重視へと国論が統一され、初等教育から高等教育まで方向が定まってきたところで、またぞろこういう学力偏重批判が起こるのは、左からのバックラッシュでしょうか。

日本の大学教育の最大のメリットが、大学ごとに学力面で学生の粒がそろっているところであるのに、それを破壊しようというのですから、国益を何と考えるのか。

「多くの人間の知恵を集めれば簡単に解けてしまう問題」を、一人で解けるかどうかこそ、大学教育で重要であり、企業だって、それを基礎学力として大学に求めるわけでしょう。

基礎的な問題は一人で解けるようにならないと、難しい問題を多くの人間の知恵を集めてようやく解けるようになるわけがない。

そもそもこの人、言っていることが論理的におかしい。「基礎学力は必要条件ではあるが、十分条件ではない」からと言って、どうして基礎学力重視の入試をやめていろんな学生を入れた方がよくなることになるの?

そもそも面接の方が、よほど粗っぽい選抜方式と思うけれど。企業が粗っぽい選抜をできるのは、面接の前に学校歴や学力で「足切り」をしているからですよ。

「多くの人間の知恵を集めれば簡単に解けてしまう問題」を一人で解けない学生ばかり大学に来るようになったら、日本の大学教育は崩壊し、経済の人的資本は壊滅するでしょう。

この人、自分だけアメリカのことをよく知っているとばかりにエラそうなこと言いますが、日本の一流校だって、今や、教員の主力はアメリカの学位取得者であり、アメリカの大学がどのように運営されているかなんて、ほとんど知っています。

正直言って、アメリカの学部教育に日本があまり学ぶべきことはない。アメリカの競争力の秘密は世界中から秀才を集めている大学院にあります。むしろアメリカは、日本のような「きめ細かい」「教員に多大の負担をかける」学部入試をやるべき。それができないのは、アメリカの国土が広大で、学生がそうたくさんあちこち受験できないからですよ。

「長いことアメリカに住んでいたおかげで、日本経済壊滅プロジェクトのエージェントにでもなったのか」などと言われないような発言をしてもらいたいものです。

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http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110228-00000301-newsweek-int

<どうして「ネット不正」や、数年前に話題になった替え玉受験などということがまかり通るのかというと、とにかく「多くの人間の知恵を集めれば簡単に解けてしまう問題」を、受験生個人の記憶力と謎解き能力を「純粋に」測定するために、密室で厳格な監視下に置き、辞書や電卓の使用を禁止して解かせる、その全体に問題があるのです。勿論、読み書き算盤の能力は、大学での学習効果を考えた時に重要な潜在能力だとみなすことはできます。そのことを否定するものではありません。常用漢字の読み書きの怪しい人間に法律や日本文学の専門的な勉強は難しいでしょうし、ニュートン力学の基本を納得しないで機械工学を学ぶというのはナンセンスです。

ですが、それは必要条件であっても十分条件ではないのです。とにかく「その学生が、明らかにその大学に入学することで、他の受験生の中で専門分野での研究や社会貢献に向かって能力を開花させる潜在能力がある」ということの「その学生個人の資質、見識、意欲」などを見る部分が全くない入試というのは、人材選抜の方法として実に非効率だと思うのです。例えば、採用に失敗したら最悪の場合業績の悪化に直面する民間企業が、そんな「粗っぽい選抜」はやっていないということを考えれば明白だと思います。>