止まらぬ公共事業みたいになっている大学新設

http://blogos.com/article/49736/?axis=g:0

<テレビを見ていたら岡田克也・副総理が「なぜ認可前に校舎の整備が始まっているのか」という趣旨の発言をしており、また田中真紀子文科相は今日の記者会見で「(認可が決まった段階で)既に建物が出来ているのはおかしい。誰かが事前に情報を流しているのでしょう」と発言したとのこと(「肝心なこと言い忘れた...田中文科相、唐突な発表」Yomiuri Online)。わあすげえ、こいつら本物の馬鹿だ。>

確かに馬鹿かもしれないが、こういう素朴な疑問もある。

http://twitter.com/kurokawashigeru/status/265859939208163328

<真紀子氏は「知らな過ぎる」…設置審委員 : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20121106-OYT1T01217.htm?from=tw … おいおいという感じ。専門家しかわからないじゃ、誰がどうやって止まらぬ公共事業みたいになっている大学新設を制御するんだ?と思います。 >

確かに、校舎を建設して「大学を開設します」と文科省に言えば、もう止められない感じではある。どうしたらいいんだ?

これまでこれを制御してきたのが、自民党文教族だったと思うのですよ。文教族の大物がOKと言っている場合のみ、私立大学の開設を許してきたのが文科省というわけで。

自民党献金し、いろいろな便宜をはかった地方の金持ちのみが、私立大学という形での財産保全を許される、という構造だから、利権と言われるわけです。

私立大学を批判しているわけではないですよ。

私立学校というのは、江戸の終わりとか明治の始めに、私塾としてスタートしている。緒方洪庵適塾とか、慶応義塾とか。それを、後の世になって政府が基準を設けて認可したり規制したりしているわけです。

本来、自由に開設していいものを、政府の権威で認証しているだけなのです。だから、先にできている建物や教員組織を、客観的に評価して外形基準を満たしていれば認可する、というのは、正しい順序でしょう。

それがいつの間にか、認証を与えてもらわないと学生集めできないという構造に転化してしまったわけですが、本来は、認証なんかなくても魅力的な組織であるべきなのですよ。

そもそも、学校というのは誰もが自由に創設していいはずだし、政府としても、基準を見たすことができなくなった学校の認証は取り消し、補助金も止める、という形で運用するというのが、適切な制度の在り方だと思います。

そうすると、今の文科省のやり方が制度的に悪いということには、なかなかなりにくいと思います。